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2008年01月03日

心優しき犯罪者の物語


あけましておめでとうございます。
今年も家庭を顧みず仕事はほどほどに(?)
何をおいても読書第一の生活を心がけたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

さて、新聞の書評欄であったり雑誌のランキングであったり、
年末になると決まってあちこちで「今年のベスト本」が特集されます。
それらをいちいちチェックするのが密かな楽しみでもあるのですが、
この年末はいささか意外に思ったことがありました。

ベスト候補に名を連ねる小説の中で、
あまり取り上げられていないものがあったからです。

2007年は小説が大豊作だったので、もしかしたら選ぶ人によって
多少ベストがバラけるかもしれないなとは思っていましたが、
そうはいっても、その年を代表する傑作なんてそうそうありませんから、
おそらく次のいずれかの作品の名前があがるだろうと予想していました。


その①
ありふれたベタな殺人事件を題材に、現代の地方都市に生きる人々の今を
深く描き出すことに成功した吉田修一さんの最高傑作『悪人』(朝日新聞社)。

その②
革命後のロシアで獣のように生きることを余儀なくされた若者を描き、9・11以降の
混乱期を生きる現代人を鋭く暗示させた佐藤亜紀さんの『ミノタウロス』(講談社)。

その③
犬に恋い焦がれ、ついにはほんとうに犬になってしまった女性の目を通して、
他者との新しい結びつき方を描き出した松浦理英子さんの『犬身』(朝日新聞社)。

その④
出口のない男女の愛憎劇を美しい花が腐り果てていくように描き出した
恋愛小説の大傑作、桜庭一樹さんの『私の男』(文藝春秋)。


・・・・・・と、ここまではいいのです。
これらはどれが2007年のベストとされてもおかしくないものばかり。
(あまりに傑作揃いなので、この中でどれを推すかはもはや個人の趣味の問題です)

でもちょっと待っていただきたい!
みなさん、もう一冊、お忘れではないか。

なぜか年末の各種特集であまり名前を見かけることのなかった傑作、
それは、角田光代さんの『八日目の蝉』(中央公論新社)です。


ぼくの知る限りこの小説を2007年のベストとして推していたのは、
尊敬する本読み、筑摩書房の松田哲夫さんのみ。(ブランチBOOK大賞

松田さんほどの本読みに評価されるのも嬉しいことには違いないけれど、
でもこの本のことは、もっともっと世間で話題になっていいはずです。
松田殿、不肖私め微力ながら助太刀いたす!


そんなわけで、今年最初にみなさんにオススメするのは
この『八日目の蝉』といたしましょう。


はじめに申し上げておきますが、
この小説がほんとうに面白いかどうか信用できないという人は、
まずは本屋さんで冒頭の4ページを立ち読みしてみてください。

『八日目の蝉』はいきなり緊迫したシーンから始まります。
民家に女が侵入するという場面です。

平日の朝のわずかな時間、妻が夫を駅まで送る間だけ
この家が赤ん坊を残して誰もいなくることを、女は知っています。

女は当初、「あの人の赤ん坊を見るだけ」というつもりで部屋に侵入します。
けれど赤ん坊と目があった瞬間、女の心に予期せぬ変化が生じるのです――。


この冒頭4ページを読めば続きを読みたくてたまらなくなるはずです。
他人の家に不法侵入しているという息が詰まるような緊張感の中、
赤ん坊と目があった瞬間の女の心境の変化を、角田さんはわずか数行で
見事に表現してみせます。この文章力によって、読者はぐいと物語の世界に
引きずり込まれ、あとは一気呵成に読み終えてしまうことでしょう。


一気呵成に読んでしまうのは、この物語がサスペンス仕立てでもあるからです。

物語は2部構成になっていて、前半は、ヒロインの赤ん坊を連れた逃走劇です。

ヒロイン・野々宮希和子は、さらってきた不倫相手の女児に、
生まれてくるはずだった自分の子供を重ね合わせて「薫」と名付け、育て始めます。

けれども、母子手帳もなく戸籍もない、そんな状態で幼子を抱いて逃亡を続けるのは
とてつもなく困難です。このサスペンスとしての逃亡劇を作者は実に丁寧に描いています。
相手のささいな言動にも「何か知っているのではないか」と脅え、
ちょっとでも危険を感じたら親切にしてくれた人に別れも告げずに逃げる。
このように、日々不安に押し潰されそうになりながら必死に逃げ続けるヒロインが
丹念に描かれているために、ページを捲る手が止まらなくなるのです。

それだけではありません。

普通に考えれば、ヒロインは、生まれたばかりの赤ん坊を両親から奪うという、
卑劣極まりない罪を犯した犯罪者です。けれどもなぜか彼女を憎む気になれない。
それは作者が、逃亡生活の中で血のつながらない希和子と薫が親子の情愛を
育んでいく様子も温かく描いているからでしょう。
一面的ではない描写が物語に深みを与えています。


前半のクライマックスは希和子の逮捕です。
もしここで終わっていれば、この小説はここまで傑出した作品にはならなかったでしょう。
この小説が凄みを増していくのはむしろ後半に入ってからです。


物語の後半は、かつて「薫」と呼ばれていた娘の視点で語られます。
希和子の逮捕からはすでに20年近くがたっていて、娘は大学2年生になっています。

事件後、実の親のもとに戻った彼女は、「秋山恵理菜」として生活を始めました。
けれど彼女を待っていたのは、平穏な生活ではなく周囲の好奇の視線でした。
「犯罪者に誘拐されて育てられた子供」というレッテルだけではありません。
希和子の裁判で、父親の不倫はもとより母親の秘密までも明らかにされたために、
一家は住む場所も転々としなければならなくなります。

自分は普通の子供のように育つことが出来なかった。
自分から「ふつう」を取り上げたのはあの女だ――。

恵理菜は野々宮希和子を憎んでいます。
そして事件からずいぶん時間がたったにもかかわらず、
いまだに自分の身の上に起きたことをうまく受け入れられずにいるのです。


この小説の後半部はつまるところ彼女が運命を受け入れるまでの物語なのですが、
恵理菜がかつて希和子と暮らしたある島へと渡るラストシーンは圧巻です。

希和子と過ごした日々。
希和子という女。
両親。
そして恵理菜自身の過去。

それらすべてが彼女の中で了解される感動的な場面です。

なかでも、17年前、希和子が港で逮捕されたときに叫んだ言葉を
恵理菜が思い出す場面があるのですが、このくだりが素晴らしい。
刑事たちに取り押さえられながら希和子が必死に叫んだ言葉。
それは切迫した状況にはなんとも不釣り合いではあるものの、
希和子の悲しいまでの母性を痛切に感じさせる言葉です。

この言葉を思い出したときに恵理菜は、
自分をさらった野々宮希和子も、実の母の秋山恵津子も、
どちらも愚かな女であり、どちらも等しく母であることを知るのです。


何年間も土の中で過ごした蝉は、
やっと地上に出てきたと思ったら
わずか七日間で死んでしまいます。

でも八日目を生きた蝉がいたとしたら?

それは孤独な生かもしれないけれど、
その代わりに普通の蝉がみることのできなかった景色をみることができるはずです。

作者は、異常な人生を生きた(生きざるを得なかった)人を
八日目を生きている蝉になぞらえます。
そこから読み取れるのは、なにかのはずみで人生を狂わされたとしても
そこからの歩みは決して無駄にはならない、という作者の力強いメッセージです。

読めばきっと「人間が持つ本質的な強さ」みたいなものを感じ取ることができるはず。
光に満ちあふれたこの小説のラストシーンは、ぜひ多くの人に味わっていただきたいと思います。

投稿者 yomehon : 2008年01月03日 22:24