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2007年07月28日

「夜の言葉」で書かれた物語


『本の雑誌』8月号を手にとったら
巻頭特集が「2007年上半期ベスト1」で、
なんと上橋菜穂子さんの『獣の奏者』(講談社)
上半期エンターテイメントのベスト1に選ばれているではありませんか!

といっても、この『本の雑誌』恒例のベスト10は、編集部での話し合いが基本で、
その時々の部員の力関係で適当に順位が決まったりする実にゆる~い企画。

とはいえ『獣の奏者』が1位に選ばれたことに異論はありません。
物語の面白さにどっぷりと浸かり、時がたつのを忘れるということでは、
『獣の奏者』は群を抜いているからです。


『獣の奏者』は、上橋さんお得意の異世界ファンタジーです。

主人公の少女エリンは、「闘蛇」と呼ばれる戦闘用の巨大な水蛇を飼育している
闘蛇衆の村で、母とふたりで暮らしていました。
母親はそこで「獣ノ医術師」として闘蛇の健康面に責任を負っていたのですが、
ある時、一夜のうちに闘蛇が何頭も死ぬという事件が起きます。

責任を問われた母親は処刑され、孤児となったエリンは蜂飼いの老人と出会い
人里離れた山の中でともに暮らすうちに、生き物の世話をする面白さに目覚め、
母と同じ医術師の道を歩み始めます。

ところがエリンの選択はやがて、国全体の運命を左右することになるのでした・・・・・・。


矢も刺さらぬほどの硬い鱗に覆われ、決して人には馴れない凶暴な闘蛇。
そして白銀の翼で天をかけ、鋭い爪で闘蛇を狩る地上最強の獣「王獣」。

この物語の素晴らしいところは、
上橋さんの想像力によって造型された獣たちの見事さです。

それも獣の姿形を描写する程度なら誰でもできますが、
上橋さんが凄いのは、獣の細かい生態にまで踏み込んで描写しているところ。

人間によって傷つけられた王獣との間にエリンがどうやって信頼関係を築いていくか。
そのプロセスを上橋さんが迫真のディテールで描写していく様は、
まるで本当にこの世に王獣という生き物が存在していて、
その飼育ドキュメンタリーを見せられているかのようなリアリティーを持っています。


そしてもうひとつ、この物語の凄いところは、
最後の最後、物語のラストになって、
王国の成り立ちにまつわる秘密が一挙に明らかにされるところ。
オセロゲームで最後にすべてが白にひっくり返るような驚きと爽快感が読者を待ちかまえています。


それにしてもここ最近の和製ファンタジーの盛況ぶりはいったいどうしたことでしょう。


その理由について考える時、ぼくの頭には一冊の本が思い浮かびます。

『ゲド戦記』の作者ル=グウィンに『夜の言葉』(岩波現代文庫)という本があります。
彼女はその中で「ファンタジーは夜の言葉で書かれている」と言っています。


「夜の言葉」とはなんでしょうか。

たとえばビジネスの世界で使われているのは「昼の言葉」です。

「この商品を100万円で買ってください」という言葉は、
言葉通りの意味しか持ち合わせていません。
まるで真昼の太陽の下のようにいっさいの影がない言葉です。


「日経平均が大幅下落する前にA社の株を売り抜けた」
「ハワイの不動産投資って結構儲かるらしいよ」
「株式から商品市場に乗り換えたらパフォーマンスが向上した」


いま世の中で力を持っているのはこのような「昼の言葉」たちです。

けれども人は「昼の言葉」のもとだけでは生きていけません。

なぜなら人間の心の多くを占めるのは影だからです。


上橋菜穂子さんに『闇の守り人』(新潮文庫)という作品があります。


『精霊の守り人』に始まる「守り人」シリーズ2作目となるこの作品で、
主人公の女用心棒バルサは、25年ぶりに故郷に戻ります。

帰郷の目的は、陰謀に巻き込まれた幼いバルサを守るために、
すべてを捨ててくれた養父ジグロの汚名を晴らすこと。

その結果、バルサは自分の心の傷と25年ぶりに向き合うことになるのです。

険しい山脈に囲まれたバルサの故郷カンバル王国は、
山の底の地下深くにある闇の王国と関わりを持っているのですが、
この物語で圧巻なのは、暗闇に包まれた地下洞窟で
「闇の守り人」とバルサが激しく槍を交えるシーンです。


ユング心理学に「影」という概念があります。

先頃お亡くなりになった河合隼雄さんは、
『影の現象学』(講談社学術文庫)という本の中で、
影はすべての人間にあり、「もうひとりの自分」として、
時として表向きの自我と厳しく対立することもあると述べていますが、
「闇の守り人」とバルサとの対決シーンは、
数多あるユング心理学の教科書よりもよっぽど雄弁に
ぼくらに影を見つめること、影と向き合うことの大切さを教えてくれています。

特にバルサが戦いの末に闇の塊を抱きしめるシーンなどは、
自らが抱えた心の傷と勇気をもって向き合い、
やがて自分自身と和解するプロセスを見事に描いていて、
心理学の専門書に書かれているような高度な内容を
血の通った物語を通してぼくらに実感させてくれます。


ぼくはこれこそがファンタジーの持つ力だと思うのです。
誰もが心のどこかに抱えていながら、
昼の言葉では決して探り当てることのできない影の部分に、
夜の言葉は光を当てることができます。


「守り人」シリーズの中でも大人のファンが多いことで知られる『闇の守り人』は、
まさにル=グウィンの言う「夜の言葉」で書かれた物語です。

昼の言葉が幅をきかせる世の中だからこそ
いまこのような物語が求められているのではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 2007年07月28日 22:00