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2006年11月13日

 「格差」の根っこにあるもの

先日ある新聞社の経済部の友人と飲む機会があって、
景気回復の話になりました。    

景気の回復が続いて「いざなぎ景気」を超えたなどと新聞は伝えているけど
本気で回復していると思ってんの?とぼくがいちゃもんをつけたのがきっかけです。

「いざなぎ景気」は
1965(昭和40)年から1970(昭和45)年にかけて続きましたが、
友人によれば、あくまで指標の上とはいえ
2002年1月を底に景気の拡大は続いており、
この11月にいざなぎ景気を抜く58ヶ月目に突入したのは
紛れもない事実なんだそうです。


「でもそうはいってもたしかに実感はないよね」
そう友人も認めました。


そのとおり!
まったく景気が回復しているという実感はない。
というか、前よりも悪くなっているような気がする・・・・。


多重債務者の実態に鋭く斬り込み
話題となっているノンフィクション『下流喰い』須田慎一郎(ちくま新書)によれば、
2000年と2004年を比較した場合、全給与所得者のうち、
年収1千万円を超えた人が1万8千人増えたのに対し、
300万円以下の人は160万人も増加しているのだとか。
04年には生活保護世帯も全国でついに100万世帯を超え、
都市部の公立小中学校で就学援助を受ける子供の数も4割ちかく増えています。
年間所得が平均値の半分にも達しない人の割合を示す貧困率は15・3%。
これは日本が先進国中アメリカに次ぐ格差社会であることを示しています。


どうしてこうなってしまったのでしょうか?


そのような疑問を見事に解きほぐしてしてくれるのが、
『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』内橋克人(文藝春秋)です。


ネオリベラリズムというのは、ひとことでいえば「市場原理主義」のこと。
経済学の傍流にすぎなかったこの思想がなぜ世界を席巻し、
その結果どんな事態を引き起こしたかということを、
この本は説得力をもって描いています。


1929年に発生した大恐慌の反省にたって、
アメリカでは市場を律するさまざまな厳しい法律がつくられました。
「神のみえざる手」、つまりマーケットにすべてをまかせてはいけないと考え、
政府が市場に適切に介入するという経済政策をとったのです。

これはジョン・メイナード・ケインズが唱えた政策です。
ケインズは、一部の資本家が市場を支配することがないよう規制を設けること、
それに不況の際は政府が財政投資と公共事業によって雇用を確保することなどを
主張しました。ようするに政府がリーダーシップをとってあれこれ国民の面倒を
みるべし、というのがケイジンアンの考えかたです。

ところがアメリカがベトナム戦争に失敗したあたりから風向きが変わり始めます。

戦費負担がかさんで財政が悪化し、インフレ率と失業率が上昇します。
政府はこの事態に対処できず、政府批判の声が大きくなりました。

このときに表舞台に登場したのが、
ミルトン・フリードマンという経済学者でした。


東欧出身の貧しいユダヤ人家庭に生まれたフリードマンは、
苦学しながら大学に通い、やがてシカゴ大学の教授に就任します。

一族がナチスや共産主義によって迫害されたフリードマンは、
国家よりも市場こそが平等で信じるに足るものだという考えを持つに至りました。

そして市場原理主義を旗印に、当時全盛だったケインズ学派に戦いを挑むのです。   

フリードマンの考えでは、
経済をコントロールするにあたって重要なのは貨幣の供給量のみで、
あとは市場にまかせておけばいい、ということになります。
このフリードマンの考えをアメリカの中央銀行(FRB)が採用したのは1979年のこと。
ケインズ的手法からフリードマン的手法へ政策を大転換したのです。

ここからネオリベラリズムの快進撃がはじまります。

アメリカ中の大学でフリードマン流の経済学が教えられるようになり、
教え子たちが国際機関や各国の中央銀行などに就職していきます。
その後、市場原理主義が「グローバリズム」の名で世界を席巻したのは
みなさんもよくご存知のとおりです。


ネオリベラリズムはそれほどまでに正しい思想なのでしょうか?


フリードマンの考えを極端なまでに実践したのが、
アルゼンチンやチリに代表されるラテン・アメリカ諸国です。
結論からいえば、この試みは失敗し、貧富の差が拡大し国富は国外に流出しました。

『悪夢のサイクル』の核心部分がこの点です。

サブタイトルにある「ネオリベラリズム循環」という言葉。
これは新潟大学の佐野誠教授の発見した法則で、
市場原理主義の政策が必然的に引き起こす景気循環を意味しています。


「ネオリベラリズム循環」とは何か。


日本でも、ネオリベラリズムに宗旨替えしたアメリカからの圧力で
規制緩和が叫ばれ、さまざまな分野で規制が撤廃されました。
その後の日本経済がたどったプロセスを乱暴に要約すれば以下のようになります。


①規制がなくなり、市場が整備されると、
「日本のマーケットは商売がしやすいらしいぞ」というので
海外マネーが流れ込んできます。

②マーケットは過熱し、バブルが発生します。
バブルになると借金経営が常態化します。
景気がいいのですぐに金が返せると思うからです。
企業だけではなく、国や自治体も国債や地方債を乱発します。


③そうこうするうちに、おいしい思いをし尽くした海外マネーが流出し、
景気は下降線をたどります。
景気の底で、「このままではダメだ。もっと規制を緩和しなければ!」というので、
さらなる改革が行われます(小泉内閣はこの時期にあたります)。
労働現場における規制が緩和され企業の非正社員化が進み、
企業の合併や外資による資本参入が当たり前となり、
再び「おっ!また日本のマーケットが商売になるらしいぞ!」と
海外マネーが目をつけ景気が拡大します。


・・・・と、このように①~③のプロセスを繰り返すうちに
共同体のつながりは破壊され、地域社会は荒廃し、治安は悪化して
肝心の国民の生活はどんどん悪くなっていく、というわけです。
これが「ネオリベラリズム循環」、すなわち「悪夢のサイクル」です。


日本のネオリベラリストといえば構造改革を主導した竹中平蔵氏。
もっといえば小泉政権じたいがネオリベコンセプトにのっとったものでしたが、
この「悪夢のサイクル」という分析が正しいとすれば、
ネオリベラリズム的な政策をとりつづける限り、
ぼくたちの生活は一向に良くならないということになります。


国家は市場に介入すべきか否かという専門的な議論はぼくにはわかりません。

ただひとつだけ素人のぼくにもわかるのは、「極端な考えは失敗する」ということです。

国家が生産から消費にいたるまでのすべてをコントロールしようとした社会主義は
失敗しました。それと同じように、なにからなにまで市場にまかせようとする
市場原理主義もうまくいかないのではないかと思います。


フリードマンの極端ぶりを示すエピソードがあります。

ケネディ政権で黒人の差別問題がクローズアップされたときに、
こうした問題にさえも政府が介入するのに反対だったフリードマンは、
こう言い放ちました。

「黒人の差別問題は貧困問題である。
彼らが収入の高い仕事につけず、不況になると真っ先に解雇されてしまうのは、
十代のときに怠けて勉強しなかったため、
企業が必要とする技術を身につけていないことが理由である」


フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を受賞しています。
貧乏ななか努力してここまで登りつめたのはある意味すごいことですが、
彼の不幸は、誰もが自分と同じようにできると考えているところではないでしょうか。


投稿者 yomehon : 2006年11月13日 10:00