« やがてこの世にやってくる魂の物語 | メイン | テレビの薄さと本の厚みについて »

2006年04月18日

おひさしぶりの大ホームラン

例によってヨメの目を盗んでこそこそ書店を徘徊していると、
いきなり真っ赤な表紙が目に飛び込んできました。
帯には「『ワイルド・ソウル』から三年 著者渾身の書き下ろし巨編」との文字が!!

「おお!垣根涼介の新作ではないか!!」

そうなのです。
『ワイルド・ソウル』は大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞を史上初めて
トリプル受賞し、おおきな話題となった一冊でした。
あれから三年。待ちに待った新作が書店に並んだのです。
『ゆりかごで眠れ』(中央公論社)と題された新作の帯には、
「愛は十倍に、憎しみは百倍にして返せ」とも書いてある。

「素晴らしい!面白そうな小説のニオイがプンプンするぞ!」

迷わず購入し喫茶店で読み始め、やめられなくなって馴染みの居酒屋に移動して読み進み、
混んできたのでこれまた行きつけのバーのカウンターに移って読み続け、あげく深夜にご機嫌で帰宅し
ヨメを激怒させたのですが、面白い物語に長時間没入した心地良い余韻に浸っている僕には
ヨメの嫌味などまったく気にならないのでした。
いやー面白かった!!

垣根涼介はデビュー作の『午前三時のルースター』(文春文庫)でいきなりサントリーミステリー大賞と
読者賞をダブル受賞。
次の『ヒートアイランド』(文春文庫)も各書評で絶賛され、二作目にして実力派作家として評価が
定まりました。

『午前三時のルースター』はベトナムで失踪した父親を探す息子とそのお目付役の男の物語。
『ヒートアイランド』は渋谷のストリート・ギャングとプロの窃盗団の攻防を描いた物語。
どちらもストーリーがよく練られたうえ、タイトルの意味が最後の一行でわかるといった仕掛けもあったりして、なかなかの秀作でした。

ただ、この時点ではまだ垣根涼介は「若手有望株」程度の作家であったと思います。
それが大きく化けたのが『ワイルド・ソウル』上下(幻冬舎文庫)でした。

『ワイルド・ソウル』は南米日系移民が日本国に復讐する話です。

かつて日本が貧しかったころ、政府によって南米のアマゾン流域への移住が推奨されたことがありました。しかし外務省が強行した移民政策は杜撰かつ無謀なもので、多くの入植者がジャングルでの苛烈な生活を余儀なくされ、国を恨みながら死んでいったのです。『ワイルド・ソウル』を読む人はまず、母国に見捨てられた入植者たちの苦難をこれでもかというくらいに描いた冒頭部分にショックをおぼえるはずです。

ところが、かつての移民たちが外務省に対して復讐を行う後半部分に至り物語は転調します。
サンバのリズムに身をくねらせるかのように登場人物が動き出し、前半の暗さ、重さとは打って変わってテンポ感あふれるストーリー展開となります。

『ワイルド・ソウル』は、戦後日本の「棄民政策」への激しい憤りと底抜けに明るいラテンのノリが
奇跡的に結合した傑作でした。

『ゆりかごで眠れ』はそんな傑作に続く作品です。
「もしかして三年もかかったのはプレッシャーのせい?」とも思いましたが、
読み始めてすぐそれが杞憂であることがわかりました。
むしろ、この作品を書くためにはこれだけの時間が必要だったのだと深く納得できたのです。

主人公は、「リキ」という名の日本人です。
戦後コロンビアに移住した日系移民の二世として誕生したリキは、
両親をゲリラに殺された後、貧民屈に住むコロンビア人に引き取られ、
やがてマフィアのボスとなります。

コロンビアは産出量世界一を誇るエメラルドをはじめ、
石油、天然ガスなど豊富な地下資源に恵まれたうえ、
日本の三倍もある国土は干魃とは無縁な沃野で、
海からもカツオやマグロなどの魚類が無尽蔵にとれるという豊かな国です。
しかしスペイン人たちがこの国を征服して以来、
豊かすぎる富を前に人々が殺し合いを繰り返すようになり、
政治の名のもとに公然と虐殺が行われる果てしない政治暴力(ビオレンシア)の時代へと突入します。
無政府状態となった社会のなかで貧しい生まれの者がのし上がるためには、
犯罪に手を染めるしかありません。
リキはその頭脳と仲間を決して見捨てない男気で鉄の結束を誇る組織を作り上げるのです。

グループは日本向けにコカインを密輸していますが、
ある日部下が日本で警察に逮捕されます。その部下を奪還するためにリキが日本にやってきます。
やがてリキは、組織のなかで歪んでしまった刑事と、日常に倦んだひとりの女と対峙します。

前作に比べると物語が深みを増しています。
『ワイルド・ソウル』『ゆりかごで眠れ』のあいだに垣根涼介になにがあったのか。
両作を読み比べてわかることは、この三年の間に、作家のなかで確実に南米体験が
深化したのだろうということです。

『ワイルド・ソウル』執筆のための取材旅行の模様をまとめた『ラティーノ・ラティーノ!南米取材放浪記』(幻冬舎文庫)は、作者の驚きと興奮に満ちています。
日本とはまったく違うブラジルやコロンビアの空気。
日系移民たちの想像を絶する生活。
作者は初めて訪れた南米で目にした現実に圧倒されます。

『ワイルド・ソウル』はその興奮冷めやらぬまま書かれた感があるのですが、
『ゆりかごで眠れ』から感じ取れるものはまったく違います。
主人公の生い立ちの描写ひとつとっても、ディテールがより細かくなり凄惨さを増していますし、
やがて死ぬことを知りながら、絶望を胸に秘め黙々と組織のために働く主人公の人物造型は
陰影にとんでいます。
明らかに垣根涼介は前作よりも成長しています。

ある衝撃的な事実や光景が、作家のなかでどんなふうに消化され、深められ、
作品として読者の前に差し出されるかということが、『ワイルド・ソウル』『ゆりかごで眠れ』
読み比べてみるとよくわかると思います。

『ゆりかごで眠れ』は、血と硝煙の臭いが立ちこめるなかからサルサのリズムが聞こえてくるような
小説です。これは新しいノワール(暗黒)小説ではないか。

三年ぶりに打席に立ったと思ったらいきなりの大ホームラン。
まったく垣根涼介はたいした作家です。

投稿者 yomehon : 2006年04月18日 22:25